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【二宮尊徳の成功哲学】シリーズ第3回 気骨ある明治のバンカー・安田善次郎

気骨ある明治のバンカー・安田善次郎

松沢成文

 

 渋沢栄一より二歳年上ながら、同じように尊徳の教えを生涯にわたり自らの事業に生かし続けたのが、安田善次郎である。安田は、渋沢と並ぶ「金融界の大立者」だが、渋沢のような官僚や留学の経験もなく、たたき上げのバンカーである。そして、いわゆる政商でなくして、三井・三菱・住友と連なる4大財閥の一角に成り上がった傑物である。

 

 天保9年(1838)、安田は富山藩の下級武士の子として生まれる。尊徳に似て少年時代から向学心が強く、野良仕事に行くときも書物を懐に入れ、暇さえあれば読書し、夜は布団の中で天井に向って字を指で書き覚えたという。

 安政5年(1858)に奉公人として江戸に出て、最初は玩具屋、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。安田が両替商に手を出したのは、とにかく金を扱う商売にひどく魅力を感じたからである。

 独立後は、「安田商店」を設立し、両替商を本格的に営むようになる。これが「安田銀行」の始まりである。後に「富士銀行」そして今日では「みずほ銀行」として発展している。また「安田銀行」に加え、損保会社、生保会社も次々と設立し、金融財閥としての基礎を築いていく。これが現在の芙蓉グループの前身である。

 

 自らの天職を金融業と定め、他の事業を営むことを自ら戒めたが、同郷であった実業家の浅野総一郎の事業を支援するなど産業の育成にも力を注いだ。また、「日本電気鉄道」や「帝国ホテル」の設立発起人、「東京電燈会社」や「南満州鉄道」への参画、「日本銀行」の監事など、当時の国家経営にも深く関与した。

 さらに、尊徳の「推譲」の精神に倣い、東京大学の「安田講堂」、「日比谷公会堂」、「安田庭園」などを寄贈し、これらは今でも東京の名所として親しまれている(「推譲」とは、推し譲ることである。分度を守り勤勉に働き、その結果として生じた果実を積み重ねていけば、やがて大きな余剰や余分が生じる。その余剰を家族や子孫のために蓄えたり《自譲》、他人や社会のために譲ったり《他譲》することによって、人間らしい幸福な社会が誕生するという教えで、尊徳思想・報徳仕法の真髄ともいえるもの)。

 

 さて、両替商の商いを天職と思いはじめた安田は、『報徳記』(尊徳の一番弟子・富田高慶著)を座右の書とするようになり、尊徳の生き方をそのまま実践しようと努めた。時を惜しみ、人の倍努力し、無駄を省き、一銭でも多く貯える。まさしく尊徳思想の実践者そのものであった。

 

 安田は、尊徳の説く「分限論」にまつわる話でこんなことを言っている。

 「私が分限者になりえたのは、翁(尊徳)の『分限』を守りえたからだと思っている。翁の説は収入の十分の五をもって生活し、その残りを貯えよとあるが、私は十分の八と決めこれを実行してきた。十分の五では長続きしないと思ったからだ。理由は申すまでもなく、私ごときが翁のまねをしようと思ってもできるはずもなく、また収入が増えてからの無理な我慢は逆効果を危惧したからである。生活の規制は富者になったとき、乱れやすくなるのを戒める意味で大切だが、自分に合った尺度を決めることはより大切なように思う。私の経験ではこれが長続きさせるコツである」

 

 このように「分限」(分度)を定めて、倹約、貯蓄に努めた安田であるが、金の使い方についても尊徳の教えに習い、金融家としての一家言をもっていた。

 「人は私を吝嗇(けち)だという。私はどうしても必要だと思ったらいくらでも金は出す。使いもする。しかし“死に金”と思うことはたとえ一銭たりとも使わないのが私の主義である。またこれは翁の教えでもある。これこそ合理的な金の使い方であり、金を生かして使おうと思うなら当然のことである」

 

 安田は生涯、尊徳を人生の師、事業の師と仰いでいただけに、最後まで教えを受けた師の道を貫き通した。

 「言によらず行いをもってする。世には口の人、筆の人もあるが、私は口や筆の力より行いの強いことを信じたから、もっぱら行いをもって身を処し、かつ部下を率いてきた。よし生涯華やかなことは少ないにせよ、行いの力ほど大きな結果をもたらすものはない。これは私の事業上、処世上、根本の法則として今まで一貫している」

 

 安田財閥をつくり上げた気骨あるバンカー安田善次郎はこのように尊徳の教えである「至誠と実行」と「分度と推譲」をモットーに生涯を貫いたのである。大正10年(1921)9月28日、大磯の別邸にて突然訪問してきた国粋主義の暴漢によって刺殺され、この世を去った。強欲な資産家だと勘違いしての犯行であった。残念でならない。

 余談ながら、安田善次郎は、ビートルズのジョン・レノンの妻であったオノ・ヨーコさんの曽祖父である。

 

【出展:拙著『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書)】

 

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