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【横浜を拓いた男たち】シリーズ第4回 貿易発展で国を富ますー福沢諭吉

貿易発展で国を富ますー福沢諭吉

松沢成文

 

 福沢諭吉といえば、日本人なら知らない人はいない近代における屈指の偉人といっても過言ではないだろう。啓蒙思想家といわれるが、教育者としても、ジャーナリスト(評論家)としても、企業家としても、近代日本の草創期における発展に多大な貢献をなした代表的な人物である。だからこそ一万円札の肖像にまでなった。

 

 そのような諭吉と横浜の間に、実は深い関係があることは意外に知られていない。のちの啓蒙思想家・福沢諭吉が生まれるきっかけとなったのは、まさに開港間もない横浜という場所との出会いであった。

一方、横浜が国際港として発展するには、ふ頭や桟橋、港湾施設などのハード面はもちろんのこと、確かな英語力や法律の知識、幅広い海外情報の収集、さらには決済のための金融といったソフト面でのインフラ整備も欠かせない。諭吉は横浜において、優れたスキルを備えた商人の育成と国際金融拠点としての新銀行設立など、経済ビジネスモデルの確立に力を注いでいるのである。

 

福沢諭吉は天保5(1835)年、大阪・堂島にあった豊前(現・大分県)中津藩の蔵屋敷で、下級藩士・福沢百助の次男として生まれる。父の百助は儒学に通じていたが、身分格差の壁に出世を阻まれ、諭吉が2歳にもならないうちにこの世を去った。そのため、一家は郷里へ引き上げ、諭吉は幼少期を中津で過ごすようことになる。

長じて漢学に勤しむなど、勉強熱心となった諭吉は、当時の日本で唯一海外への門戸が開かれていた長崎でオランダ語を勉強するチャンスをつかむ。その後、藩の許しを得、大阪へ向かい、緒方洪庵率いる蘭学の最高学府「適塾」への入門。そこで塾頭を務めるなど頭角を現し、安政5(1958)年、藩の命令で江戸に出ることとなった。

 

この翌年、すなわち安政5(1859)年、諭吉は開港間もない横浜を訪れ、運命的な衝撃を受けたのである。著書「福翁自伝」にあるように、言葉が通じないのである。店の看板を見ても読めない。オランダ語は役に立たない。当時は、オランダに替わりイギリスが世界の覇権を握り、横浜開港地でも英語が共通語となっていた。そこで諭吉は「これからは英語を学ばねば」と覚悟を決める。

 

 万延元(1860)年、幕府が日米通商修好条約批准のための使節を派遣することになり、その護衛船「咸臨丸」に乗船を申し込み、幸い許可された。また、文久2(1862)年、幕府による遣欧使節団の一行として随行する機会にも恵まれる。

これらの経験を通じて洋学の必要性を痛感し、帰国後、「西洋事情」を発刊。初版の発行部数が15万部というから、いかに広く読まれたかが分かる。

 欧米列強と対抗するには、「富国強兵」「殖産興業」が大事であり、その実現には洋学による優れた人材の育成こそ急ぐべきだという確信をもち、国民を啓蒙していく。

 そして、明治5(1972)年に初篇が刊行された「学問のすゝめ」は、約25年間で340万部が流布したという明治期の一大ベストセラーとなった。

 

 福沢諭吉が横浜において、優れたスキルを備えた商人の育成と、国際金融拠点としての新銀行設立に力を注いだと前述したが、その多くは諭吉自身が直接手をかけたわけではなく、慶應義塾出身の“福沢山脈”に連なる人々が師の意向を酌む形で行われている。

 なかでもその先頭に立って汗をかいたのが、丸善(現・丸善雄松堂)創始者の早矢仕有的である。

 有的も世の情勢が蘭学から英語へと転換していることに気づき、横浜のヘボンの診療所を訪ね、その人柄と英学への憧れのままに、英語辞書を購入して英語の勉強へと突き進む。その後、慶應3(1867)年、福沢諭吉の慶應義塾に同志として通うようになる。

 その有的が横浜で「丸屋商店」という店を出したのは、明治元(1868)年。開店当時の商品は、港に揚げられる洋書、そして、薬品・医療器具だった。諭吉とは子弟の関係から、貿易商社を起こし、洋書や西洋文物の輸入業務を行おうとするのは、自然の流れだった。

 

 こうした成功を追い風に、師・諭吉の思想をともに掲げる有的は、外国の商人や商社が主導権を握る横浜の貿易ビジネスで、国内の貿易商が商権を確立するため、積極的に行動していく。

 なかでも、特筆すべき出来事が、師と手を携えて力を尽くした「横浜正金銀行」の設立、直輸出のための「貿易商会」の創設、そして人材育成の場としての「横浜商法学校」の開港である。「横浜正金銀行」の設立を政府側にあって主導したのは参議・大蔵卿の大隈重信(早稲田大学創始者)であった。「横浜商法学校」は今、「Y校」として親しまれている「横浜市立横浜商業高等学校」である。

 このように明治日本を切り開いた福沢諭吉は、開港地横浜の貿易経済のビジネスモデルを構築し、発展の礎をつくったのである。しかし、この事実は意外と知られていない。

 

【出展:拙著「横浜を拓いた男たち」(有隣堂)】

 

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