【二宮尊徳の成功哲学】シリーズ第11回 GHQ・インボーデン少佐も尊徳を絶賛
GHQ・インボーデン少佐も尊徳を絶賛
松沢成文
尊徳の評価は第二次世界大戦の前後で大きく変わってしまった。
戦前は、「手本は二宮金次郎」と持ち上げられ、逆に戦後は、軍国主義の手先であるかのように扱われる始末となった。戦争に突き進んだのは、戦前の修身道徳教育が原因とされ、その象徴として金次郎像までが追放される有様だった。
たしかに終戦後、アメリカ占領軍は、戦前の日本の教育制度や教育内容をほぼ全否定する政策を推進した。そして軍国主義を招いた精神主義の元凶として、
修身や道徳教育も排除された。
だが実は、GHQ(連合国軍総指令部)の民主化政策のなかで二宮尊徳そのものが追放されたという見方は間違いなのである。
戦前の全てを否定するという風潮のなかで、尊徳再評価の狼煙を上げたのは、なんとGHQ民間情報教育局新聞課長、D・C・インボーデン少佐であった。
彼は尊徳の業績について研究した後、「二宮尊徳を語る――新生日本は尊徳の再認識を必要とする」という論文を、雑誌「青年」昭和24年(1949)10月号に掲載した。その卓見極まる内容を、少し長くなるが紹介したい。
少佐はまず最初に、尊徳は「日本の生んだ最大の民主主義者」であると賞している。
「民主主義というものは、個人が誤りのない理性とはげしい人間愛をもって真理を追究するとき、必ず到達する唯一絶対の結論であるということである。これは人種、国柄の如何を問わない。一口に封建時代と片付けられてしまう日本の過去の歴史の中にも、そうした真理追究のために身を挺した人物が幾人かはいるのである。その一人尊徳二宮金次郎こそは、近世日本の生んだ最大の民主主義的な――私の観るところでは、世界の民主主義の英雄、偉人と比べ、いささかのひけもとらない――大人物である。祖先のうちにこのような偉大な先覚者をもっていることは、あなたがた日本人の誇りであるとともに、日本の民主主義的再建が可能であることを明確に証明するものであろう。私は、日本に来て、その歴史にこの人あるを知り、地方によってはその遺業がさかんに受け継がれているのを目のあたりに見て、驚きと喜びの情を禁じえない」
「尊徳の事業は、その精神において深遠なものであったが、武士に非ずんば人にあらずとされた封建時代に、農夫と生れ農夫として立つため、後で大小の藩か
ら財政建直しの顧問や、指導者として起用されたが、その手腕を大きく存分に振ったとはいえない。しかし彼の人格と遺志は全国日本人の間にまだ残ってい
るはずである。彼が数か町村、或いは二三の藩の復興に試みた方法を、今日拡大発展させ、あなたがたの祖国日本再建のため用いることは、あなたがたの義
務であると同時に権利でもあろう。
三百年にわたる、かの徳川封建時代の暗雲を高く貫き、ひとり富士のごとくに孤高を描く尊徳二宮金次郎こそは、日本の現状において再認識さるべきだ」
何という卓見であろう。二宮尊徳という人物の真髄を、実に見事に表わしている。戦勝国アメリカがGHQ占領体制の下で、戦前の日本の軍国主義的体質
を一掃しようとしているとき、そのGHQの軍人が尊徳をここまで研究し賞賛していたとは驚くほかない。日本人が捨て去ろうとしていた宝物を捜し出し、
その偉大な価値を再び提示してくれたのが、米軍人インボーデン少佐であった。
この論文を著す3年前の昭和21年(1946)6月、インボーデン少佐はマッカーサー司令官の了解も得て、静岡県掛川市の大日本報徳社を訪れている。そこで尊徳思想や報徳仕法について説明を受け、質疑応答が行われた。最後に少佐はこう述べたという。
「二宮尊徳はアメリカのリンカーンにも付すべき人物である」
「自分は日本に来て何ものも得ずに終わるかと失望していたが、報徳の事業を見聞し、二宮尊徳のごとき偉人を見出したことは愉快に絶えない」
その年の9月、小田原で開催された「尊徳生誕160年記念祭」には、夫婦で参列したという。インボーデン少佐のGHQのオフィスには、尊徳の座像が置かれていたそうだ。
【出展:拙著『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書)】