【二宮尊徳の成功哲学】シリーズ第10回 福沢諭吉と二宮尊徳
福沢諭吉と二宮尊徳
松沢成文
幕末から明治にかけて、欧米に学び日本の近代化を指導した啓蒙思想家、福沢諭吉。江戸時代の封建社会のなかで、農村改革を指導した改革実践者、二宮尊徳。
この二人の生きた時代は一部重複するが、互いに遠く離れた存在であったと考えるのが普通であろう。しかしながら、この二人の哲人には驚くほどの共通点が見られる。どこか接点があったのではないかと考えるのは、私だけではないはずだ。
二宮尊徳の高弟である福住正兄と福沢諭吉は、箱根の福住旅館で知り合い、意気投合し、力を合わせて箱根の開発を推進した。そして、福沢諭吉の弟子である山口仙之助が富士屋ホテルを創業し、箱根が国際リゾートとして発展していった。その際、福沢諭吉が福住正兄に「学問のすゝめ」の初版本五冊を贈った事実が知られている。私はその逆もあったのではないかと考えている。
つまり、毎年のように箱根を訪ねた福沢諭吉に対して、福住正兄からも「報徳道しるべ」や「二宮翁夜話」「富国捷径」などの著書が贈られ、二宮尊徳の話が伝わっていた可能性は高いのではないかと思うのだ。
そう思えて仕方がないほど、福沢諭吉の思想・哲学は、二宮尊徳の尊徳思想・報徳仕法と共通点が多い。
2人の共通項の第一は、「実学の重視」である。
諭吉は「学問のすゝめ」で、「今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤しむべきは人間普通日用に近き実学なり」と説くように、教育や学問というのは、実生活に役立ってこそはじめて意味をなすのであって、学問のための学問などというのは全く評価できるものではないと考えていた。
一方、尊徳は学者と坊主が嫌いだった。坊主は現実を無視して来世のみを説く。学者は人の話を右から左に受け売りするだけの徒と決めつけた。いくら四書五経を学んでも、現実を直視し、それを改革するために行動しなければまったく意味がないと訴えている。
二つ目の共通項は、「数理を重視する合理性」である。
諭吉は「福翁自伝」のなかでこう述べている。「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較してみるに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である。近く論ずれば今のいわゆる立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に拠るところなしというべきこの大切なる一義を、わが日本国においては軽く視ている」
これはまさに、数理を重視する報徳仕法、実学の実践された形である報徳仕法に通じるものを感じる。
三つ目の共通項は「独立心の尊重」である。
諭吉の教育の大きな目標は、慶應義塾の「修身要領」にもあるように、独立心の養成である。「独立自尊」という言葉は有名だが、国家の独立のためには国民一人ひとりの独立が不可欠という意味だ。
「自ら労して自ら食うは、人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人足らざるべからず」
この諭吉の言葉は、尊徳のいう「心田開発」に通じる。
「わが道は、人の心という田畑を開墾することなり、心の田畑さえ開墾できれば、世界の荒地を開くことは難からず」
尊徳の心田開発と諭吉の独立自尊は、言葉は異なるが、他に依拠しない独立した人間を育てなければ社会は発展しないという思想は共通のものである。
日本の近代の発展に大きな影響を与えた啓蒙思想。日本的な農村社会から生まれた二宮尊徳と西洋的近代社会をめざす福沢諭吉、この二人のルーツはまったく異なる。しかし、この二人の哲人が合理的実証主義、自由民主主義の思想・哲学に帰結したのは、この時代にあっては偶然ではなく必然だったのかもしれない。
【出展:拙著『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書)】