【二宮尊徳の成功哲学】シリーズ第8回 経営者・実業家がなぜ尊徳を信奉したのか?
経営者・実業家がなぜ尊徳を信奉したのか?
松沢成文
これまで、二宮尊徳に多大な影響を受けた、渋沢栄一、安田善次郎、御木本幸吉、豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫の功績や生き様を紹介してきた。
このような偉大な実業家・経営者たちは、なぜ、二宮尊徳を師と仰ぎ、尊徳思想や報徳仕法を信奉していったのか、私なりにその理由に迫ってみたい。
まず、最大の理由は、「道徳を伴わない経済は罪悪であり、経済を伴わない道徳は寝言である」という尊徳の「道徳経済一元論」が、実業家たちの心をつかんだということではないか。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、プロテスタンティズムのもつ勤労に価値を置く倫理性が欧米の資本主義の発展に寄与した、ということに着目している。
明治の実業家たちにとっては、日本が培ってきた武士道や儒学などの道徳倫理と明治維新以後に欧米から輸入された資本主義経済を、どう両立させるかが命題であった。道徳と経済という二律背反するものを融合させる尊徳の教訓は、明治の実業家たちの心にフィットし、それ以後も継承されていったのである。
二つ目の理由は、報徳仕法のもつ合理性であろう。
尊徳は数理と技術に通じ、これらを駆使して改革を実践していった。徹底した調査を実施したうえで、過去・現在・未来を念頭に展望して、長期的視野をもって復興計画を立てた。また、返済や投資に対して金融を駆使して改革を進めた。さらに、開発するに際しても耕作や治水の技術力を駆使して生産性を向上させたのである。
私は、報徳仕法はマニフェストの原型だと論じてきたが、数値目標や達成期限を用いて、具体的かつ合理的に計画を策定して確実に実行する仕法は、当時としては画期的なものであった。この合理的な改革手法が、新しい時代の産業を興すうえで明治の経営者たちにとって非常に魅力だったのではないか。
これに関連して、三つ目の理由として、報徳の実践は単なる禁欲主義ではないことがあげられよう。
尊徳は、人々に節食を励行させれば国を富ますというような精神主義には異を唱えた。食べたいと願っている人々には十分食べさせ、そのかわり十分に働いて土地を切り拓き、物資を増産させるべきで、そうすれば産業も栄え、国も富むことになることを訴えた。従来の儒教仏教の思想のようにひたすら私欲を禁ずるものではなく、社会秩序を乱さなければ、欲望の充足は差し支えないとしたのである。
また、尊徳は倹約を奨励しているが、これは将来の病気や災害のために蓄えたり、投資資金として用いたり、さらには社会に貢献するために推譲することを目的にしている。決して吝嗇(けち)の精神で行うものではない。将来的に目的を持って大いに活用するために節約することこそ倹約であると励ましたのである。
こうした尊徳の、禁欲的な精神主義にこだわらない経済活動を重視する柔軟な発想が、殖産興業を成すために奮闘していた経営者たちの心を捉えたのは想像に難くない。
最後に、やはり尊徳の「天道人道論」であろう。
従来の儒教思想では人道は天道に従うべきものとされていたが、尊徳は天道と人道を明確に区別した。人間社会が天道に従うのみでは満足できない場合は、人間は主体性をもって天道、つまり自然環境に対して積極的に働きかけ、これを改善していくべきと考えた。この営みを人道としたのである。
このことは、意欲的に欧米の科学技術を導入し、近代化を急速に達成しょうとした当時の趨勢に適合したのであろう。
尊徳の説く、至誠と実行をモットーとする実践主義、数理と技術を重んじる合理主義、さらに次々と改善向上を図っていく革新性、こうした人道のあり方がこの発展期の人々に歓迎されたと思われる。
以上のように、二宮尊徳の思想と仕法は、近代日本の資本主義発展のバックボーンとして大きな役割を果たしたと考えられる。
私は尊徳思想や報徳仕法の原理原則、エッセンスは不滅だと確信している。
今後の日本の経済界にも、こうした骨太の経営理念、経営哲学を備えた本物の経営者・実業家が現れてほしいと願うのは私だけではあるまい。
【出展:拙著『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書)】