東京五輪を「4年順延」すべき理由
東京五輪を「4年順延」すべき理由
参議院議員 松沢成文
3月24日夜、首相公邸において国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と電話協議を終えた後の会見で、安倍総理は「遅くとも2021年夏までに開催することで合意した。開催国の責任をしっかりと果たしていきたい」と語った。近代オリンピック124年の歴史上初めて「延期」が決まった瞬間である。
それは、同月3日の参議院予算委員会で、私が新型コロナウイルスの影響による延期の判断を質問したのに対して、橋本聖子五輪担当大臣が政府として初めてその可能性に言及してから、わずか3週間後のことであった。橋本大臣は、開催都市契約によれば2020年中の延期が可能と解釈できると答えたのである。このニュースは、日本政府が初めて東京五輪を延期する可能性について触れたものとして、またたく間に世界中へ配信された。
この3週間の間に、中国を発生源とする新型コロナウイルスは一気に世界中へと感染を拡大した。この間の感染者数の推移を見てみよう。
3月3日時点での新型コロナウイルスの感染者数は、世界では90,897人、日本国内では253名であった。それが、3週間後の延期を決定した同月24日では、同じく世界で372,767人、日本国内で1,095と、いずれもおよそ4倍に激増している。3月11日には、世界保健機構(WHO)のテドロス事務局長も、既に「新型コロナウイルスはパンデミック」の状態にあると表明しており、イタリアを始めとする欧州や米国、アジアなど世界中で感染拡大の動きが今もなお続いているのはご承知の通りである。
私も大多数の国民の皆さまと同じように、東京オリンピック・パラリンピックが無事に開催され成功することを強く願っている。だからこそ、延期の判断の可能性とその時期をあえて大臣に問い質したのである。大会を延期することは、特にこれまで必死の努力を続けてきた選手や大会運営に関わる皆さまに多くの犠牲を強いることになり、簡単に判断できるものではない。
しかし、いま最優先で守るべきは選手・国民の命であるはずだ。そして、延期を決断するなら、7月24日の五輪開催から逆算した準備スケジュールを勘案して、リミットは5月末であると私は考えていた。延期への影響を考えれば、その決断は早ければ早い方良い。なので、トランプ米大統領や海外のメディア・競技団体からの延期に向けた圧力があったとはいえ、安倍総理が3月中に延期を決断したことは高く評価したい。しかし、である。
果たして、自らの提案で延期を1年程度、来年2021年夏までとした安倍総理の判断とIOCへの提案は正しかったのだろうか?
延期を1年程度としたのは、安倍総理の自民党総裁任期が来年9月30日であり、自らが総理である間に開催して東京五輪を自らのレガシー(遺産)にしたいという思惑があるのではないかと一部で報道されている。これが事実であるとすれば言語道断である。また、最大1年であれば、放映権を持つ米NBCもおよそ1,450億円の広告収入への影響も少ないという。こうした多くのスポーツビジネスの利害関係者にとって、確かに1年程度の延期であれば、まだ傷は浅くて済むのかもしれない。
ただ、延期幅を「1年」と決めつけるには大事な視点が欠けている。それは、いつ新型コロナウイルスが終息するのかということだ。
現状では、専門家の間でも、新型コロナウイルスが終息する時期については、定まった見通しを明らかにできる段階ではない。
新型コロナウイルスとの遺伝子的な類似性が指摘される重症急性呼吸器症候群(SARS)は、2002年末に、発生源の中国から流行が始まり、シンガポール、台湾、カナダなどへ拡がった。SARSに対しWHOが終息宣言を出したのが翌年の7月で、流行から終息までの期間はおよそ8ヶ月かかった。しかし、ハーバード大学公衆衛生大学院のマーク・リプシッチ教授(疫学)は、新型コロナウイルスでも同じ状況になるのか知るすべがないことを指摘している。
さらにいえば、世界でのSARSの感染者は、中国、台湾、カナダなどを中心に8098人、死者は774人と、地域、感染者数ともに限定的あった。ところが、新型コロナウイルスは、世界各地へ未だ拡がり続けており、現時点(3月30日)で感染者723,700人、死者34,018人とその数もSARSの比ではない。SARSと比較して終息時期を見通しことは楽観的過ぎる。
また、新型コロナウイルスの流行が終息する方法は主に2通りとされる。1つには、人々の多数(約6割)が免疫力を高めてウイルスが広がらなくなる方法(集団免疫)、2つ目には、ワクチンが開発されてそれにより免疫がつく方法である。これについて、英エディンバラ大学のマーク・ウールハウス教授(感染症疫学)は、1つ目の方法である集団免疫を獲得するには少なくとも2年、2つ目のワクチン開発は少なくとも1年~2年を要するとしている。ワクチン開発については、WHOのテドロス・アダノム事務局長と米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・フォーシ所長も、同様に12~18ヶ月かかるとの見通しを示している。
したがって、来年の夏までに、日本を始め世界の多くの国で新型コロナウイルスの流行が終息している可能性は残念ながら小さいと言わざるを得ない。実際、この1年程度とする延期幅は、専門家会議の意見などの客観的かつ科学的なデータにも基づいた決定ではないことが、既に国会質疑を通じて明らかになっている。
以上のことからも、今から延期を1年程度と決定するのは危険であることがご理解いただけると思う。新型コロナウイルスのパンデミックが1年を超えて長引く可能性を現時点では否定できないのである。危機管理は、最悪の事態を想定して対応しなければならない。
そこで、東京五輪の「4年順延」という提案がある。現時点で決定している東京五輪を2024年に、それに続く2024年パリ五輪、2028年ロサンゼルス五輪をそれぞれ4年後に順延するというものだ。
この方策については既に、旧知の郷原信郎氏(元東京地検特捜部検事、弁護士)も提言している(「東京五輪『2024年への順延』が最も現実的な選択肢ではないか ~「国際社会の要請」の観点で考える」https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200324-00169435/)。ここで郷原氏は、「新型コロナウイルスがもたらす全世界的な経済への影響」、「その中で日本が準備することの難しさ」、「次回2024年開催予定のパリ五輪へ向けた準備に与える影響」などを考慮した上で、「2021年、2022年の五輪開催に向けて力を注いでいる余裕が国際社会全体にあるとは思えない」とし、「『国際社会の要請に応える』という観点から、冷静に、客観的に考えた場合には、東京五輪を2024年、パリ五輪を2028年に、それぞれ順延するしか、選択肢はないのではなかろうか。」と述べている。
私は傾聴に値する提案だと考える。
最新の民間試算によると、東京五輪を延期した場合の経済損失は6,000億円超に達するという。さらに、大会組織委員会やIOCは、来年夏まで約1年間延期した場合、競技会場の借り換えや組織委員会職員の人件費などで最大3,000億円程度が追加で必要になると試算している。
加えて、競技会場を確保するための再調整や、大会後にマンションに改修する選手村の対応、ボランティアの再確保、チケット対応の他、宿泊先や警備、移動用バスなど、損失額という数字には表れない解決すべき課題は山積している。
仮にこうした課題が解決できたとしても、来年夏までに新型コロナウイルスの流行が収まらず、五輪を開催することができなければ、経済損失6,000億円と追加経費3,000億円の計9,000億円に加え、準備にかけた莫大な時間と労力が無駄となってしまうのである。そうなった場合、とても再延期をすることなど考えられないであろう。
一方で、東京五輪を4年後に順延した場合、人生をかけて今回の五輪への切符を掴んだ代表選手たちはその権利を失うことになろう。次の選考に再挑戦できる選手ばかりではなく、中にはそれまでに引退を余儀なくされる選手もいるかも知れない。いずれにしても、オリンピックを目指す選手たちをさらに厳しい状況に追い込むことは間違いない。そうした選手の思いを想像しただけで、私は断腸の思いを禁じえない。
しかし、郷原氏も言うように、新型コロナウイルスによるパンデミックを乗り越えていかなければならない世界全体にとって、まずはワクチンや治療薬の開発などにより感染を克服し、あらゆる手段を使って感染拡大を阻止し、この恐ろしい病魔に打ち勝つことを最優先するべきだ。開催の1年延期はそれを保障できる期間ではない。そして、この惨禍を終息させた後に国際経済の回復を図った上で五輪に臨むべきだろう。
冒頭に紹介した会見において、1年延期をIOCと合意したことを明らかにした後、安倍総理は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催する」と語った。本当に「完全な形」で開催するのであれば、新たな国際協調の枠組みを構築し、復活の象徴として東京五輪を4年後に開催することが、危機管理上、最も現実的で望ましい選択であると言えるのではないか。
以 上