No.30【二宮尊徳の人材観】「人物は身分や職業にかかわらぬ」に学ぶ、真の価値の見出し方
組織における人材の価値は、その肩書や役職、学歴によって決まるのでしょうか。二宮尊徳は、封建的な身分制度が色濃く残る時代にありながら、「人の真価は身分や職業にはよらない」という、極めて近代的で本質的な人材観を持っていました。これは、現代の組織が陥りがちな形式主義や権威主義への、鋭い警鐘となります。
尊徳は以下のように、偉大な人物(聖人)とは、決して遠い存在ではないと説きました。
「聖人も、聖人になろうとして聖人になったのではない。日々夜々、天理にしたがい人道を尽くして実行しているのを、わきから見て、ほめて聖人と言ったものだ」
「ことわざに、『聖人聖人と言うのは、だれのことかと思ったら、おらが隣の丘(孔子)のことかい』ということがある」(『二宮翁夜話』福住正兄著より)
これは、リーダーシップや非凡な才能は、特定の役職や地位に付属するものではなく、あらゆる階層の、ごく普通の人々の中にこそ宿るという考え方です。リーダーの役割は、肩書に惑わされず、身近な従業員の中に眠る非凡な才能を見出し、引き立てることにあるのです。
さらに尊徳は、真に優れた人物は、肩書がなくとも自ずと評価されると説きます。
「官位や俸禄や家柄があって世に知られ、人に用いられるのは、その官位や俸禄や家柄があるからのことだ。そういうものなしで世に知られ、人に用いられている者は、仕事が卑しいように見えても、決して侮れない」(『二宮翁夜話』福住正兄著より)
彼は、火事場で泥を浴びせられても泰然自若としていた名もなき「男伊達」の姿に、「威あって猛からず、恭しくて安し」という理想的なリーダー像を見出します。これは、役職や権威に頼らずとも、その人格と行動によって周囲からの尊敬を集める「インフォーマル・リーダー」の重要性を示唆しています。
尊徳が生きた時代は、まさにこのような本質的な価値が見過ごされがちな時代でした。尊徳を信奉していた思想家・福沢諭吉は、才能がありながらも身分に阻まれた父への思いを『福翁自伝』に「門閥制度は親の敵でござる」と記しています。これは、個人の能力よりも形式が優先される組織がいかに活力を失うかを生々しく物語っています。
尊徳の「人物は身分や職業にかかわらぬ」という教えは、組織が持続的に成長するためには、肩書や経歴といった「ラベル」で人を判断するのではなく、その人物が持つ本質的な徳や能力、そして日々の誠実な行動を正当に評価する文化を築かなければならないという、現代にも通じる極めて重要なメッセージなのです。
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