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首長多選禁止を条例化せよ

条例で「四選禁止」を

それでは、この多選禁止を現代日本の地方自治の中でどのように組み込むべきであろうか。私には長年心の中に温めてきた提案がある。それは「地方議会が条例によって首長の四選を禁ずべき」というものである。以下その根拠を説明したい。

まず第一にその前提として、法律あるいは条例で多選禁止することは、憲法違反ではないかという反論があろう。しかし、衆議院法制局の判断にも示されているように、知事多選禁止は十四条の平等原則、十五条の普通選挙の保障、二十二条の職業選択の自由、九三条一項の直接選挙権のいずれの条文にも抵触するものではなく、むしろ民主主義の本質に沿うもので憲法の趣旨に合致すると積極的に評価されている前例がある。法律ではなく条例による禁止は現行法体系との整合性において多少の疑問は残ることは後述するが、条例で禁ずることも少なくとも違憲ではないという立場を前提としている。

第二に、なぜ法律ではなく条例かという点がある。過去の多選禁止論では、それを地方自治法一四〇条の首長の任期に制限を加えるか、それとも公職選挙法八七条二項の重複立候補の禁止に加えるかという法律での制限が考えられてきた。しかしながら、はたして多選禁止は全国画一的に法律によって禁ずべき問題であろうか。私にはそうは思えない。わが国には、三三〇〇にのぼる大小さまざまな地方自治体が存在する。都道府県を見ても、人口六〇万人強の鳥取県から一一〇〇万を超える東京都まであり、人口規模や政治風土が大幅に異なり、その統治システムを画一的に論じるのは無理がある。「市長さんが風邪をひいて今年の祭りには来られそうにない」といった噂がその日のうちに町中に広まるような小さな自治体では、何といっても住民が首長をコントロールできる。ところが、神奈川県のように人口七〇〇万を超え、特定の人を除いては知事など何年もお目にかかったことがないという大規模自治体では、多選禁止を考えなくては自治が機能しなくなるのはこれまで述べてきた通りである。現在の地方自治は、人口も社会状況も異なる自治体を画一的な基準で統治しようとしているところに問題がある。地方の時代とは、町づくりにとどまらず、地方自治のしくみにおいても独自性を尊重すべきであると思う。それこそが地方自治の本旨であると確信している。その意味で、それぞれの地方の政治状況、政治風土を熟知した住民の代表である地方議会が、多選禁止の必要があると判断したならば、自治体固有の条例によって制度化するのが望ましいのではないだろうか。多選の弊害の内容は、その地方の政治風土によって違ってくるのであろうし、禁止の制度化を行うか否か、また、どのように行うかは地方自治体固有の問題であり、自治体が主体的・自発的に取り組むべき問題なのである。また、そうすることによって、知事多選禁止の反対論拠の一つである「知事と市町村長を区別する理由がない」という意見も正当性を失うことになる。

第三点目として、なぜ四選禁止かという点である。分権思想の進んだ民主政治の先輩国アメリカでは、大統領は二選まで、そして州知事多選禁止州の中でも多くが三選禁止となっており、二期八年が一つの区切りとされている。わが国でも過去の議論の中で、三選禁止とすべきか、あるいは三選はやむを得ずとも四選以上は好ましくない、など何戦をもって多選とすべきか意見対立があったようだ。神奈川県のような大規模自治体においては、行財政の規模も拡大の一途をたどり、住民のニーズや価値観は多様化し、社会情勢もきわめて複雑化しており、政治や行政の遂行に格段の手間と時間がかかるようになってきているのが実状である。知事が就任して総合計画を策定し、推進し、成果を上げるには、二期八年では短すぎる。少なくとも十年、三期十二年くらいが適当ではないかと私は考えている。そして、前述した多選による弊害の多くが、就任十年以後に顕著に見られる傾向が強いことを考え合わせても、四選禁止が望ましいのではないだろうか。また、何選をもって多選禁止とするかの判断も、基本的には各地方自治体、地方議会の意思に委ねるべきである。

以上に挙げた理由から、私は地方自治を正しく機能させるためにも、自治体独自の制度化は十分許容されるべきだと思うし、特に大規模自治体においては、条例化による首長四選禁止を推進すべきと考えている。

しからば、もしこの多選禁止の条例化が実行に移されるとしたら、地方自治や選挙を監督する自治省は、どのような態度をとるのであろうか。私は神奈川県市町村課(選挙管理委員会所轄)を通じて自治省選挙課に問い合わせてみた。その見解は「地方自治法十七条では、長の選挙については別の法律(公職選挙法)の定めるものとしている。公職選挙法では、長の多選禁止規定は定められていない。また、条例で定めることについて公職選挙法に何らの委任規定もない。以上の理由により、長の多選禁止について条例で定めることは、公職選挙法に抵触するものと思料される」というものであった。

ここで首長多選禁止の条例化は、上位法との関係において問題があることが確認されたわけだが、国会が公職選挙法を改正し長の任期について条例への委任規定を加えれば何ら問題はない。むしろ、自治省の見解と対決するような勇気ある地方議会が現れることも、今の地方自治の状況を考えると好ましいとさえ思える。



アメリカの分権思想に学べ

私は去る十二月に開催された神奈川県議会十二月定例会の一般質問において、現在四期目在任中の長洲一二県知事に対し、これまで述べてきたような論旨で首長多選の弊害と改革案を指摘し感想を尋ねた。答弁の中で知事は「日本の知事は、アメリカや西ドイツなどの知事に比べ、国との関係でいうと意外と権限が小さい」「アメリカでも、ニューヨーク、イリノイ、カリフォルニア、ミシガンなど大きな州で知事の多選禁止制限のない例もある」と答えた。また、全国知事会が示した知事多選禁止の反対理由の一つにも「アメリカの大統領と州知事とはその権能・性格において比較にならない」として、外国との違いを強調している。確かに、連邦制をとるアメリカでは、各州に州憲法があり州知事には絶大な統治権が与えられている。これに対し中央集権国家の日本では、知事といっても国の配下の行政体の長であり、連邦制の国家と比べればその権限に違いがあるのは事実である。しかしながら、相対的な権限の差があっても、日本の地方自治体はアメリカの制度をまねて首長−議会型の統治システムを採用している限り、アメリカの制度やその根底にある政治思想から見習うことを忘れてはならない。

アメリカの民主政治の基礎となっているのは、何といっても分権思想の二つの流れである。一つは「政府の権力の行使に対する民衆の統制が確保されているところでは、権力を積極的に行使すべきである」として権力を集中する場合には、長期にわたって権力の座に居座らせないような政権交替の仕組みをつくっている。いま一つは、「権力は常に腐敗を伴う。したがって、政治権力の分散と制限が必要である」というものだ。こうした思想に立って、政治権力の機能的な分散として、立法・司法・行政の三権分立を、地域的な分権として、各州の自治権を認める連邦制を、そして時間的な分権として、大統領や州知事の多選制限を統治システムの中にしっかりと組み込み、民主制を維持する上で権力に対して十分な注意を払っていることは大いに参考になる。

要するに、わが国の自治体の首長もアメリカの大統領や州知事と同様に、首長が直接に主権者の選挙で選ばれ、制度上首長に対する議会や政党のコントロール機能が弱いわけで、反対に首長の独自性が強く、その権限が強大であるがために、多選禁止は権力の長期集中化を極端に嫌う民主主義のきわめて当然の要請なのである。

さらに、アメリカの州知事多選制限が、どのような背景のもとに制度化されるに至ったかを調べてみると非常に興味深い。神奈川県の姉妹州であるメリーランド州では、一九三九年に知事二選禁止の憲法修正動議があった。一九三〇年代当時のアメリカは、俗にいうボス政治が横行し、少数の政治屋たちがマシーンと呼ばれる利益団体を形成して、地方政治を牛耳る腐敗政治の時代であった。一九三八年に州民主党大会で州知事候補の指名を受けたヒューバート・オコーナーは、ボス政治との訣別を宣言し、そのための具体的な施策として政治家と利益団体の癒着を断ち切るために、知事の再選禁止の州憲法修正を公約の一つに上げ立候補し当選した。その後一年たっても約束の修正法案が知事から提出されなかったために、今度は議会下院から、驚くことに与党の民主党議員から提出されたのである。ところが、この修正法案は上院に回され、上院民主党が良い知事の首を一期で切ることは不適切として反対したため、結局は廃案になってしまった。しかし、こうした議論を経て、一九六四年に住民投票によって現制度である州知事の連続三選禁止が州憲法に付け加えられた。

このメリーランドのケースから学ぶべき点は、第一に知事与党の議員から修正案が提出された点である。日本の地方議会では与党議員は知事の立場を守ることに熱心であるが、アメリカの地方議会では、与党議員であろうとも知事の公約違反を衝き、議会として首長をチェックすることを忘れていないのである。そして二点目は、知事多選禁止が政治腐敗からの脱却という政治改革の視点で発案されていることである。

ひるがえって現在の日本の政治を考えてみると、一九三〇年代のアメリカの政治と比べ似たり寄ったりの状況であろう。一部の人間が利益を求め政治家と癒着し、一般市民はそうした内情を汚職として知らされ政治不信に陥る。このような利益を守る一部の人々と政治権力の癒着を断ち切るための一方策としても首長の多選禁止は有効であるばかりか、政界の新陳代謝を促すという点からも大きな意味をもつと思われる。

現代の日本の政治の大きな問題点の一つは、地盤・看板・カバンと言われるように、選挙に勝つには莫大な資金が必要とされ、政界へのハードルがあまりにも高すぎるところにあるのではないだろうか。この状況が政治家の人材発掘の幅を狭め、政治を硬直化させる原因となっている。首長の多選禁止は、このような政界の現状に風穴を開けるのに役立つことは言うまでもない。優秀な知事が退官後、国政に挑戦し地方自治の現場の問題点を国会の場で提起できるかもしれないし、行政手腕の鋭い市長に県知事として能力を発揮してもらうことも容易に考えられることになる。

よく首長の多選禁止は、行政施策の長期的な遂行に支障をきたすという意見を聞くが、それは正しいとは言えない。なぜなら、政策の持続を望むならば、現職はその政策を継承する候補者を立てることができるからである。もちろん政策を作成・遂行する人物が大事だという意見もわかるが、政策の内容や方向性は人が替っても継続することが可能なのである。むしろ多選禁止によって数多くの政治家がチャンスを与えられ、政界の新陳代謝や政治改革が促されるというメリットの方が大きいのではなかろうか。



党利党略を拝して

これまで首長多選禁止の制度化の必要性について私見を述べてきたが、最後に読者の皆様に訴えたい。これまでにも首長多選禁止の問題が幾度となく国会などで取り上げられてきたことは冒頭に述べたが、残念なことに、過去の多選禁止の議論の裏には当時の政治的な思惑が見え隠れしていたようだ。初期においては中央政府が、知事公選制によって独自性を強める中央政府に対してのコントロールを取り戻したいがために多選禁止に賛成したり、その後は保守系多選知事が多く存在したため、多選禁止は身内の首を切ることになるとして、自民党内から反対の意見が出たりした。また、今後地方議会の中でこの問題が議論されるとしても、知事与党はあくまで知事を守る立場で行動することが予想される。しかしながら、多選禁止の問題は、中央対地方の発想や政党の党利党略などの思惑で是非を論じるならば、必ずやその本質を見失うことになる。多選禁止の問題は、あくまでも地方自治のあり方として、地方議会の行政制御の一方策として、そして、地方政界の政治改革の視点として、さらに言うならば、分権とは何かという観点も含めて、公正にその是非を論ずべき重要な問題なのである。

私は、神奈川県議会の一員として、神奈川県のような大規模自治体においては、首長の多選制限の制度化が必要であると確信している。また、今後も各分野の専門家にもご指導を願い勉強を積み重ねていく覚悟である。神奈川の先進性を活かし、わが国において先駆者となるような新しい地方自治のあり方を探っていきたいと思う。そして、この問題提起が全国の大規模自治体の中で、大きな議論を巻きおこすきっかけとなることを願ってやまない。

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