この論文は、中央公論(1990年3月号)に掲載されたものです。松沢しげふみが、首長多選禁止を前々から唱えていたことを皆様にご理解していただけることと存じます。
なお本論文の転載をご承諾いただいた中央公論編集部に感謝いたします。
首長はヒト・カネ・モノを一手に握る自治体唯一、つまり独任性の機関の最高権力者である。いまこそ、その多選禁止を制度として考えなければ、地方自治の進展に著しい障害となりかねない。
去る十一月十九日、川崎市において市長選挙が行われた。新聞紙上では、政策の相違が目立たない選挙などと報道されていたが、五期在任中の伊藤三郎市長が突然病気辞任したのを受け、伊藤市政の継承か、それとも市政刷新かという二者択一の激しい選挙となり、今後の国政の動向を占う全国的にも注目された選挙であった。
その中で、市政奪還を目指す保守陣営は、伊藤市政の末期に立て続けに発生した市職員の不祥事を取り上げ、市政死守を計ろうとする革新陣営を激しく攻撃した。確かに、川崎市ではこの二年間に、大麻や覚醒剤所持、闇金融やノミ行為、そして中央政界をも揺るがすリクルート事件の発端となった元助役の非公開株入手、中堅幹部による病院業務のコンピュータ汚職、さらには選挙直後にも、またもや中堅幹部による財テク汚職、若手職員の住宅侵入や暴力事件・飲酒運転がたて続けに摘発され、市職員による不祥事の発覚はとどまるところを知らない。川崎市において、どうしてこうした不祥事件が発生するのであろうか。もちろんさまざまな原因があろうが、新聞では長期政権がもたらした組織と人事の停滞が大きな原因と指摘していた。二十年にもわたる長期政権が庁内にウミを生じ、人事への不満が根強く、市職員の士気の低下がささやかれ、それが政策の遂行にまで影響を与えているようだ。不祥事の多発は、長期政権が必然的にもたらす「たるみ」と「腐敗」とみることもできよう。
驚くことに川崎市では、今回の選挙で当選した新市長が戦後三人目の市長である。一代目の金刺市長は七期二十四年半、二代目の伊藤市長は五期十八年半と二人とも超長期市政を担当したわけで、川崎市は他の大都市に比べてきわめて政権交替の回数が少なかったのである。もちろん長期政権には、安定的に政策を遂行できるなどの長所もあろう。しかしその反面、人事や組織の面などで腐敗や汚職がはびこるといった負の側面も見逃すことはできない。川崎市における実状は、それを如実に物語っている。
そこで、この長期政権の影の部分に焦点をあて、知事はじめ首長の多選禁止の問題を取り上げ、その是非を論じ、さらに民主政治のシステムとして多選禁止を具体化する方法論についても言及したい。
吉田内閣以来の侃侃諤諤
知事多選禁止の問題は、かなり以前から選挙のたびに、国会や全国知事会の場で議論されてきた。まずはじめに、官選知事制から公選知事制に移行してから三度目の昭和三十年の統一地方選挙の際に、知事三選の是非が争点の一つとなった。当時の吉田茂首相が、公選知事も三期目を越すとますます独自性を強め、中央からのコントロールが効かなくなるとして、知事三選に疑問を呈したことがきっかけとなって、三選禁止法制化の議論が起こった。ところが、当時の自治庁は消極的で法制化に至らなかった。その後昭和三十八年の第五回統一地方選挙の前にも、知事多選禁止の議論が起こり、一般の注目を集め、選挙後には自民党の一部で「知事四選禁止懇話会」が結成され、法規制が検討されたが、党内からも反対が出て立法化は断念された。さらに昭和四十二年の第六回統一地方選挙前にも、知事多選をめぐる問題が再燃し、国会の自民党有志によって四選禁止の議員立法が提出され、衆議院で審議されたが、法規制には全国知事会はじめ根強い反対にあい、継続審議・審議未了となってしまった。さらに時代は流れて、昭和四十六年の第七回統一地方選挙後、自民党執行部によって選挙敗北の反省から、多選弊害の排除を党の体質改善の手段にしようと多選禁止の提案が出されたり、最近では昭和五十七年に自民党の選挙制度調査会が、知事四選禁止の方向を打ち出し法案まで準備したが、国会には提出されなかった。
これまでの議論の中で、一般に多選の弊害としては、知事が長期間在任していることに伴い、
- 強大な権力を同一人物が長期間にわたって独占することで、政治の独裁化を招き民主主義の本質に反する恐れがある、
- 知事の個人的つながりが県庁内外に扶植され、人事が偏向し行政が側近政治化し、県政が私物化される危険がある、
- 県政がマンネリズムに陥り、職員の士気も沈滞して清新な県政が期待し難くなる、
- 知事と議会の間に一種のなれ合いが生じ、県政についての正常なチェック・アンド・バランスが保たれなくなる恐れがある、
- 県の個性が強くなり、国の施策の徹底が困難になりがちになる、などが挙げられている。これらに対する反論として、選挙で県民が判断するのであるから民主主義を認める限り差し支えないのではないかという考えがある。これに対しては、
- 知事の在任中に事実上の選挙運動が行われる結果、選挙が公正に行われにくく、選挙そのものの基礎が信頼し難い、したがって、
- 新人の交替による人材の発掘が困難になりがちである、また、これらの弊害に鑑み、アメリカ合衆国では大統領と多くの州知事が、多選を無条件または連続的に行うことも禁止していることも、民主主義の経験を経た上に出された最良の方法であることを実証しているというものである。
以上のような多選の弊害が多少なりとも存在すること自体については、多くの人の認めるところであろう。しかし、この点からさらに法律によって多選を禁止するということについては、全国知事会はじめかなり多くの反対意見があった。その理由としては、たとえ多選の弊害が存在するとしても、それに対する選挙民の監視は厳しく、自然淘汰されている事実を指摘している他、
- 多選の弊害は抽象的であり、かつ誇張されている、
- 多選について、知事と市町村長とを区別する理由がない、
- 多選の弊害は選挙民の自主的判断に委ねるべきであり、それが民主主義の要請に合致し、法律でこれを禁ずることは憲法違反の疑いがある、
- 多選知事においては、行政が長期計画の多選知事においては、行政が長期計画の下に一貫して遂行でき、県の実情をよく知った行政が実施され、すぐれた人物が長期にわたって存在するなど公選制の利点が強く現われる、
- アメリカ合衆国の大統領や州知事とは、その性格・権能において比較にならない、などの諸点が挙げられている。この中で全国知事会が、多選禁止反対の最も強い論拠としているのは、「法律による規制は憲法違反の疑いがある」というものである。しかし、昭和三十九年衆議院法制局は、多選禁止を法制化しても違憲ではないという見解を下している。
現職圧倒的有利の実状
これまで知事多選禁止問題の経緯と是非論について顧みてきたが、次に私自身二年半の議員経験を通じて神奈川県政や川崎市政、さらには多選首長を抱える他の大規模自治体を観察してきた中で、多選の弊害の実態について述べてみたい。
まずはじめに、知事や政令指定都市の市長は絶大な権限をもっている。人事権をもつこと、自治体の事業を発注すること、補助金を各種団体に支給すること、許認可権をもつこと、金融機関のいい得意先になることなど数え上げればきりがないほどの権限が首長の手に握られている。また、首長といえば冠婚葬祭屋と呼ばれるほどいろいろな会合に出席し、挨拶をし顔を売る機会が多い。それが首長の仕事の一つではあるが、新人候補はこうした機会が現職首長に比べ圧倒的に少ないのであるから、現職首長が選挙に落ちることなどまずないようなしくみが出来上がっているように思える。
さらに、政策を知ってもらうことは政治家にとって欠かせない。しかし、このこと自体が現職は自分の職務として県や市の広報を利用することができるが、新人候補はそうはいかない。例えば、神奈川県では『県のたより』という広報紙を毎月二七七万部近く県民に発送しているが、その経費は六億円近くに及ぶ。選挙区が大きくなればなるほどこの額が膨らむのは言うまでもないが、個人はもちろん政党といえども、こうした莫大な費用を賄い切れないのが実状であろう。
このような例をとってみても、首長選挙において現職がいかに有利であり、立候補の自由はあるといっても、泡沫扱いされることを除いては誰でも簡単に立候補できない状況である。
また、大きな自治体の首長の多くが気を遣うのがマスコミ対策である。地方の県知事などは県紙と呼ばれる地方新聞によく書いてもらうか、悪く書かれるかで、県民に対する影響が大いに異なってくるようだ。何千億円以上もの予算を毎年使うのであるから、各種施設もできれば道路もよくなるのは、ある意味で当然である。そこでは政策の優先順位や費用と効果の評価など専門的なことは、一般県民にとってあまり問題にならず、だからこそマスコミをはじめ広報対策に注意を払えば万全ということになる。
それと、プラス・イメージは首長に、マイナス・イメージは副知事・助役やその他の職員にというように役割分担が決められ、首長に忠誠を誓う度合いに応じてポストを約束するという暗然のルールが出来上り、職員も身の安泰や立身出世を望むなら忠臣にならざるを得ないという小細工が公然と弄されたりする自治体もあるようだ。人事の偏向が、評価者の価値観によって十年も二十年も評価され続けることを考えただけでもゾッとする。客観的に人を評価しようとしても、それは自ずから限界があることを知らなければならない。
まして、どうすれば首長の顔が輝き、どうすれば渋い顔をするかを心得た人々に囲まれて首長は仕事をしているのである。政治が知らず知らずのうちに、民主主義の本質から遠ざかっていることに気づかない首長が生まれる素地がある。側近政治が行われ、政治の私物化が進んだり、職員の士気が沈滞して汚職につながったり、ただもうひたすらに首長が交代するのを待つという状態が見られたり、「殿、御乱心」とささやかれるようになっても簡単には政権が替らないという状況が、多選によって生み出される傾向は否定できないのである。
また、行政が恣意的な政策立案を行うときには、最近では審議会がよく活用される。もちろん、審議会がつくられた趣旨にのっとって運営されるものも多くあるが、首長の多選が進むと首長好みの声を出してくれる者が委員として重宝がられ、それ以外の者は傍流に置かれたり、あるいは機会を見て委員から外されたりすることもあるやに聞いている。ここから住民の意向を十分にくみ取らず、行政のやることに正当性を与える役割を演ずる審議会が生まれることになる。このような実態が多選首長を抱える大規模自治体から観察されるということは、これまで首長多選の弊害として指摘されてきた「政治の独善化」「人事の偏向」「行政のマンネリ化」などのどの一つをとっても納得のいくものばかりである。
自治省の調査で全国都道府県知事の多選状況を見ると、石川県知事の七回がトップで、五回が山形、埼玉、三重、岡山の四人、四回が茨城、群馬、神奈川、和歌山、山口、高知の六人となっている。県知事や大都市の市長選では、各党相乗りのケースが多く見られる。ほとんどの場合、現職を自民・社会・公明・民社などが推薦または支持し、対立候補は共産党公認または推薦という形で行われる。神奈川県においても、過去三回の知事選挙がすべてこのパターンで行われており、投票率は統一選挙では比較的高くなるが、首長単独選挙ともなれば二〇〜五〇%程度、得票率は八〇〜九〇%
対 一〇%台という状況である。オール与党の無風選挙は、有権者に選択の機会を与えることができず、地方政治を沈滞化させ、政治不信の一因ともなり得る。
また、一般的に見てこうした無風の多選が続くと、再選の時の得票率は上がるけれども、三選以後は下降線をたどる傾向にある。神奈川県はその好例で、内山元知事が初回五四%、再選七五%、以後は六五%、六一%、五〇%と逓減し、長洲現知事においても、初回から五四%、八八%、八六%、七七%とその傾向を如実に示している。この実態は、有権者が多選に対して批判的な意思を示していると見ることもできよう。
多選禁止の反対意見の一つに「それは選挙民が判断する」というものがあるが、これまで述べてきたように、大規模自治体では選挙民が判断のしようがない状況に置かれており、しかも「よい物は長持ちする」と現職にある者から言われては返す言葉もない。
本来ならば政治家の出処進退は、最高の政治倫理として倫理の領域に委ねるべきであるかも知れない。過去には昭和三十七年に阪本勝元兵庫県知事が「水がよどめばボーフラがわく。首長の任期は二期八年が限度」と辞任して話題になったり、最近でも昭和六十二年に恒松制治島根県知事が同じ理由で四選を辞退しているように、政治家本人の理性に基づいて多選を辞退するケースがいくつかあった。しかし、多くの場合は権力の魔力に侵されたり、かりに辞退したくとも周囲の強い後押しで多選をくり返していくのが実状である。
また、多選禁止は制度化せず、支持政党の自制力に期待すべきという意見もあり、民社党などは原則的に多選首長候補は支持しない方針を打ち出しているが、現実としては、一度政権の座から離れると、それを取り戻すのにどれだけエネルギーが必要かを知っているのは政党自身であり、政党の自制力に多選禁止を委ねるのも極めて困難と言わざるを得ない。
議会議員は大勢の中の一人であり、多様な意見をまとめて行動する議決機関の一構成員にしかすぎない。しかし、首長はヒト・モノ・カネを一手に握る自治体唯一、つまり独任性の機関の最高権力者である。以上述べてきた事実や状況を考え合わせると、私は県知事はじめ大規模自治体の首長の多選禁止を制度として考えなければ、地方自治の進展を妨げることになるという強い危惧を抱かずにはいられないのである。
後半に続く>>
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