3.日本は地方からしか変えられない
この地域主権を実現するためには、最終的には「道州制」の導入しかないというのが私の考えである。
明治維新によって都道府県が生まれてから、すでに百三十年以上がたっている。当時の行政サイズで地方自治を行なうのは、もはや限界に来ている。実際、いま全国で市町村合併が盛んに勧められ、三二〇〇ある市町村を一〇〇〇ぐらいにまとめようとしている。地方自治に関する新しい動きが起きているのである。
この市町村合併は、市町村合併特例法の期限である二〇〇五年三月までにある程度進むだろう。神奈川県や大阪府などでは、人口三〇万人規模の市町村同士の合併も進み、政令指定都市や中核都市がどんどん誕生する可能性は高い。県によっては政令指定都市が三つか四つあり、その他の市町村はほとんど存在しないというケースも起こりうる。そうなってくると、まさに「県は何のために存在するのか」という問題にもなるだろう。
そこで必要になるのが、道州制の発想なのである。いまある四七都道府県を一〇前後にまとめ、国家はその道州に大半の自治権を委ねる。国家は外交や安全保障、経済政策などマクロの政策のみを行ない、都市計画や環境対策、教育政策など、いま霞ヶ関が行なっている仕事のほとんどは、道や州に任せるのである。
このとき道や州のあいだで競争原理が働くようにすれば、地域は活性化する。隣の州や市町村のほうが税金が安くて行政サービスもいいとなれば、引っ越す人や企業も出てくるだろう。あるいは住民たちのあいだで、行政サービスの悪い首長を代えようという動きが生まれてくるに違いない。
こうして地域住民の参加と責任においてよりよい行政をめざしていくのが、今後のあるべき国づくりだと考える。
だが、こうした地方自治や道州制への大胆な改革が、霞ヶ関によって実行されることはまずないだろう。これは構造改革特区に対する霞ヶ関の態度を見れば明らかである。構造改革特区は小泉改革の目玉の一つで、去年行なわれた第一次募集では、全国の自治体と企業から九〇〇もの構想が寄せられた。ところが霞ヶ関はこれらの構想を削りに削って、九〇ほどにまで減らしてしまった。まさに霞が関が地方を信用していない証拠で、彼らは自分たちの裁量が及ばない特区を認めたくないのである。
また小泉首相は地方分権について、補助金、地方交付税、税財源を三位一体で改革しようとしているが、政府の地方分権改革推進会議は、補助金削減には熱心だが税財源の委譲にはまったく消極的だ。
こういう実態をみると今後、霞ヶ関や永田町に地方分権の推進役を期待するのはむずかしい。相互依存関係にある官僚と守旧派国会議員が既得権益を放棄し、地方に権限、財源を移譲するはずがない。
この大改革を実現するとすれば、知事あるいは市町村長たちが霞ヶ関と戦って、勝ち取るしかないのである。「財源を渡し自治を認めないなら、今後はいっさい国のいうことをきかない」と挑戦状を叩きつける。そうした覚悟をもって初めて、真の地方主権が確立するのである。
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目次
- 変わらない日本、変わる日本
- しがらみのない改革派首長の出現
- 日本は地方からしか変えられない
- 教育改革特区構想
- 首都圏連合の設立を
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